新しい年に
謹賀新年
コラムに謹賀新年では、タイトルにすれば良かった、そう思うかもしれない(私目が)
七草粥も終わりもうしばらくすると鏡開き
しかし実際あのお餅を切るのは大変な作業で、底を開けると切り餅が、と言うことが多くなりました
一般的な御家ではこれが主流となって、武芸の塾とか神社やお寺など日本文化的な処や大きな企業などだけでしょうか

ずっと臼と杵を使って餅つきをしてきた我が家でさえ、「グウィン・グウィン」と回る機械を使って久しいのだから
小さい頃は暮れに搗いた餅が無くなりまた搗いたという記憶があるほど正月中は餅三昧だった
今思えばおかしなものでそれほど餅に飽きなかった
餅は厚くないと美味しくない、と結構厚く延ばしたもので、今の市販の切り餅の倍の厚さはあっただろうか
来客が何も知らず「お雑煮のお餅はいくつにする?」を自宅の感覚で返事すると、出来上がった雑煮に
「こんなに大きいの?3つも頼むんじゃなかったな」などと言っていた

家で作る鏡餅は冷めて形が崩れなくなるまで、クルクル・クルクル手で回すのが子供の仕事だった
柔らかい餅は触っていると気持ちは良いがいかんせん結構大きな鏡餅はなかなか冷めてくれず、飽きてき垂れてしまう
その厚さゆえ鏡開きの時もそれはそれで一苦労、とても子供では割ることはできない
もっぱらお汁粉に入ったお餅をたいらげることやその餅のお雑煮を食べることで貢献した
今の子供たちにこのような思い出が出来ないことは少し可哀想、そんな風に思う
もしかしたら知らないだけで、幼稚園や何かそんな所があるのだろうか?

臼と杵といえば、我が家では成人の日の祝日にもこの杵と臼を使った
また餅を?  では無く、今度は大豆をこの臼と杵で潰すのに使った
文字通り手前味噌をと、毎年次の年の味噌を仕込むのでした
この味噌が美味しい (これぞ手前味噌)
また言いたくなってしまうが、餅はビニール袋に一つづつ入って、味噌も袋入りがスーパーマーケットの棚に並んで、では・・・・
大きなお寺の門前には時々味噌を樽の上に山のように盛り上げた味噌屋を見かけることもありますが

今年は元旦を家で過ごしましたのでテレビも良く見ました、そこで今も人類は・・・・・と言うことが
テレビに映し出されたのは各地の『初日の出』の風景
海を前にや山の上で、今年初の東京スカイツリーの展望台から、などなど
最初は「ふう〜ん」と見ていたのですが、ふと『これって』
去年は銀座の nobunoza が移転をしましたが、その移転までの間店主の nobu があちらこちらへ行きました
そのブログを、あ〜今はあそこか 今日はここか と見ていました
その中に『マヤ』の遺跡が、 そうです、太陽信仰が今も続くかと (ちょっと大げさ?)とテレビを見ながら感じました
人類は知らず知らず太陽信仰をし、山に登りご来光を眺める、山岳信仰と太陽信仰を同時に味わっているのでは?と

昨年の暮れから続く寒さは例年では感じなかったほどのものがある、そう思うのは私だけでしょうか
昔からお年寄りが言う「歳をとると寒さが身にしみる」が身近になっただけだからでしょうか
実際新年の挨拶に続き「寒いねえ〜」がくる事にちょっぴり安心しながら
今年はどんな年になるのやらと

これならばタイトルは鏡餅でも良かったような、などと とりとめもない話で新年が始まりました
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