nozaki
東京の桜
大江戸 東京
侍の昔から名所なども数多く
もう風に流れるように散っている桜などもきっと『東京の桜』として
有名所も多いことであろう

今でもそうなのか
昔 新入社員の初仕事は上野公園の花見の場所取りとされた

東京出張で毎朝通った、ちょうど首都高速道路の上にも桜がある
出張初日、結構いたるところに桜があるなぁと思ったうちの一つがそれであった

しかしあの桜、高速道路の上と言うこともあってか
何となく岐阜県の『うすずみ桜』のように
少しうす〜い墨をかけたように見えてしまうのは気のせいか、大気のせいか

あの桜も1年のうちのほとんどを何も語られることも、見上げられることも無く過し
この時期のほんの一瞬を舞台に上がった役者のように華やいでいるのだろうか

桜(ソメイヨシノ)は種が飛んできてもそれでそこに桜が生えることはなく
人の手でその場所を与えられたもの

我々人間はある程度自由に自分の事を自分で決められ、喜びも自分で得ることが出来る

1年に1度の花を咲かすため けなげに生きている植物からすれば
なんと自由で可能性のある素敵な一生なのかと

自殺する人も3万人を超す今の日本
確かに死ぬことを選び実行できるのも人だけかとも思うが

若いいじめによるそれは
まるでしあわせの絶対数が決まっていて、1個のしあわせを得るために
他人のしあわせを盗ったり邪魔したりしなければいけないとばかり

誰かをいじめれば自分がしあわせになったりするのか
自分の下を作りたいばかりに弱者を作れば自分にしあわせが増えるのか
改めて考えてほしい

年配者に尋ねてほしい、それから後の人生を
ほんの少しのしあわせを得たときのそこに居ることの出来るありがたさを

このしあわせというものは、それこそ無尽蔵
1年周期のしあわせでも耐える桜をお手本に
自分の力でその周期を『毎日』『いつも』に変える心の強さを持ちたいものだと思う

葉桜も好きな私は、あのみずみずしい黄緑のまぶしさもたまらない
しかしこの出張ももう終わる、あの桜のその姿を見上げることはできないが
今度は眺めてくれたお礼にと陽射しをさえぎり通る人をほっとさせてくれるのだろう
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