nozaki
人の心に残るものは
1995年1月17日のあの阪神淡路大震災
被災した神戸新聞社を描くドキュメンタリードラマが来年放送されるとわかった
入社4年目の写真記者を通して震災を見つめ直す

主演は人気グループ『嵐』の櫻井翔、役名は実名が使われる
若い人に人気の人を使い災害についての関心を持ってもらうことができ
良いことではないかと思う

人の生活はいたる所で営まれていて
その場所でそのことが起きないと実感としてわからないと言うのが本音だと思う

その頃、滋賀県のスキー場にいた
そしてそのアルバイトの女の子もそこにいた

スキー場の食堂は昼の大忙しを終えて休憩に入っていた時だった
いつものようにおばちゃん達は世間話をし楽しそうに笑っていた

普段から目立たないその女の子が突然
「なんでそんなに笑っていられるの、阪神ではあんな大災害があったのに」
そう言って怒り出した
たしかに死者や被災者の数は多く災害としても最大級の物ではあった

しかしそこはそんな時に笑い話して何事も無かったような生活が与えられていた

数日後、彼女はスキー場を去って行った
彼女の出身地がどこか、どこからのアルバイト参加だったのか
もしかしたら家族や親戚、友人がそこに暮していたのかも知れない

このことは自然災害だけれど、少し離れた所では現実的に考えられない
被災者はかわいそうで、大変で
だからと言って国じゅうで喪に服す様なことは出来ない

人の死をその災害の最たるものだとすれば、それは自然災害以外にも身近にある
交通事故もその1つで、車の事故、電車の事故、
歩いていてもその被害に遭わないとは言えない

その全てのものも、その被害者に関わりある人だけの悲劇なのだ

大きな事故や災害が起きるとそれは報道され、何年たっても慰霊の日などと報道は続く
しかし、小さな事故の死はそれさえもだれも知らない

飛行機が墜落して亡くなった人と車にはねられ亡くなった人と、人の死は何も違わない

何か大きな事故や災害が起こると、この事を教訓にし安全対策に努めようと使う
事故を起こさぬようにと、災害を少しでも小さく抑えるためにと

おばちゃん達が笑っていたのは世間話の中でのことで
あの災害で亡くなった人の事や災害の事を笑ったのではない

今日がその日だという時に想う気持ちの違いはその事に関わった関わり度なのだと思う
人生は非情である、ここまで生きたいと思ってみても叶わない、ここで死にたいと思ってもそれも同じ
だから自分にできることをし楽しく過したいと、その時々の悲劇は教えてくれている
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